ライ麦 〈118号 #56〉

ライ麦 

 麦を初めて栽培しました。ライ麦です。
 近所に住む友人が使っていない畑を貸してくれるというので、かねてから作ってみたかったライ麦の種を播かせてもらいました。ライ麦は耐寒性が強く、寒冷降雪地域でも平気であること。土を選ばないこと。それにも増して、収穫までほとんど手をかけなくとも育つ、‥‥はずなこと。その穫れたライ麦で、黒パン(ライ麦パン)を焼いて食べるというのが目標です。

 昨年11月、草を刈っただけの、耕しもしない畝(うね)も立てない土の上に、何列かパラパラとライ麦の種を播きました。あとは何度か様子を見に足を運んだだけで、本当になに一つ世話らしいことはしませんでした。「麦踏み」なるものはするつもりでしたが、初めて見る麦の小さな若芽を前に、それもやらずにライ麦の成長に任せようと決め、刈り取りの梅雨のころまで、ほったらかし栽培となりました。

 「麦秋」。小津安二郎監督の映画がまず頭に浮かびますが、麦にとっての収穫の秋、季節は初夏になります。ちょっとひねってあって好きな日本語です。稲の黄金色より、また小麦色より少し明るいでしょうか、身長ほどの高さでちょっとした風にも一斉に揺らぐ麦の穂は、これもなにやらの映画の一シーンを思い起こさせます。
 草取りもしてもらえず、ヤブガラシの蔓に絡まれながらも、ウチのライ麦も麦秋を迎え、雨の降らない今年の梅雨入りのころに収穫を終えることができました。
 これまで米作りにも縁のなかったわたしですが、米や麦のような穀物、あずきや大豆などの豆類の収穫は、新鮮な野菜類の収穫とは違った趣を感じます。種を播き、発芽し、育ち、花が咲き、種が実り、播いた種同様の新しい種を再び手にする。子どものころからの種好きとしては、うれしい「環」の完結です。

 さてここから、ライ麦の穂からライ麦粉にしていく作業が必要になります。収穫した穂を陽にあて十分に乾燥させ、脱穀しますが、脱穀はどんな方法でできるのでしょう。米のように籾殻の中に入った種粒でなく、麦の穂を叩けば粒だけが外れ落ちてきます。
 ネットを見ると、わたし同様にパンを作ろうと麦の栽培をしてみようとする人は数多くおり、脱穀のための試行錯誤の様子を知ることができます。叩いたり、杵で搗いたり、足で踏んだり、車で轢いたり(昔の西洋では馬車も使いました)。結局、量も少ないので、厚手の紙袋に入れ、上から足踏みをして麦粒を落とし、落ちきらなかった粒は手袋した手に食事用のフォークを使って穂をしごき、こまめに穂から外していく方法となりました。
 むかしコメの脱穀に使われた、足踏み式脱穀機はやはり便利なようで、もし来年以降も量を増やして栽培していくのであれば、どこぞの農家の小屋の隅で眠っている脱穀機を探してみることも必要かと考えています。なかなか思うように脱穀も進まず、いまのところライ麦の粒を大かた穂から落とし終えた段階といったところ。おおよそ1kgほどのライ麦が収穫できたようです。
 この後の作業については、また後日記事にしたいと思います。


ライ麦粒

 ここで少しライ麦の歴史を見てみます。東部地中海沿岸地方の歴史的な名称、レバント(シリア 、 レバノン 、 イスラエル 、トルコ 、 エジプト、レバノン、ヨルダン、イスラエルおよびパレスチナなどの地域)といわれる、現在、大量の火薬が使われ凄惨な殺戮の進行する地域のあたりに自生していたものと考えられています。その後、小麦畑の雑草として存続し、その中から人間が有用な種を残すことを繰り返して、現在の「栽培植物のライ麦」に至っています。
 野生のライ麦は種粒が自然に落ちるタイプのみでしたが、小麦畑の雑草となったころは半脱落になり、独自に栽培もされるようになった時には自然に落ちることもなく、他の穀物同様に有用な作物にと変化してきたのだそうです。

 小麦の栽培に向かなかった寒冷地でもライ麦は栽培可能だったので、東ヨーロッパ、ロシア、コーカサス、北欧などでは現在に至るまで主食として栽培されてきました。それ以外の国々でも、19世紀までパンはライ麦で、小麦を使うようになったのは18世紀後半イギリスの「囲い込み」等による農村構造の変化を経てからのことです。

 その後、白くて柔らかくおいしい高級な小麦のパンが主流となり、世界的にライ麦の需要は減ってきました。しかし近年、小麦のグルテンと健康への影響がいわれるようになって、ライ麦が注目され、2010年以降は生産量も増えつつあるそうです。なおライ麦は、グルテンは少ないですがグルテンフリー食材ではありません。

<ちなみに、現在の日本農業の変わりようも、かつてのイギリスの「囲い込み」のような目的に向けているのでしょう。イギリスの農業は、大規模農場が中心となり、農村で仕事を失った農民はホームレスか都市部の労働者に。目的であった大資本家の大農経営や産業革命が進行したともいわれる。また、先日の参院選直後に公表された日米関税交渉合意文書については、もう呆れるしかない。日本農業崩壊だけではもちろんなく、日本全体のアメリカ属国化が飛躍的に進行することとなった>


 といったわけで、ライ麦を使った食べ物、レシピは今回ありませんが、もう一ついまの酷暑向きの話題を載せたいとお思います。

 うちの畑は「自然農」という名称のものが一番近いかと思う、かなり自然まかせの野菜作りです。「自然栽培」の農薬、肥料の不使用はもとより、「不除草」「不耕起」の「自然農法」でもありますが、いろいろと勉強や試行の中ですから、そう厳密にこだわってやっているわけでもありません。
 具体的なことはこれからも記事によっては触れていきますが、上記のライ麦のほったらかし栽培もその一端です。

 「不除草」と気温のこと。

 ふだんは家屋の隣の畑で野菜やハーブ類を栽培する「家庭菜園」をやっています。雑草と呼ばれる草も取りません。正確には、畝の上は作物の背より高くならないように切ります。草は抜き取らず、また成長できるように切る。畝以外の場所の草もある程度伸びたら、根元10センチぐらい残して刈り取り、作物の株の周り、畝の上にマルチングとして敷いていきます。(普通はこれで水もほとんどあげずに済むのですが、さすがに今夏は野菜によっては水をあげないとだめなようです。なかなか草も育ってくれません)
 作物の様子を観察しながら、この草をコントロールしていくのが主な毎日の畑仕事になりますが、周囲の人からはただの草だらけの畑でなんか毎日一所懸命やってる変わった人と映っていることでしょう。あまり見かけない野菜と変わった畑の姿に、話しかけてくれる人もあり、暑くなって、「熱中症、気をつけて」と声も掛けられます。

 昨年の夏、放射温度計(赤外線温度計)を使って畑の各所の温度を測定しました。予想以上の結果なので、そのデータをお伝えしたいと思います。

 まず測定した畑の画像を載せておきます。何年か休んでいた畑ですが、昨年の引越し前の春から再開しました。すぐ横は車道で、コンクリートタイルを貼った2.5メートル幅の歩道に接しています。(画像は測定日時の撮影ではありません)

畑
    2024年8月1日 快晴 正午ごろ
    気温:33℃
    コンクリートタイルの歩道(畑の北側あたる):57℃

    ・A 直射日光のあたるカボチャの葉の上:21℃
    ・B キュウリとオクラの間で日陰になりやすく低い草の生えた場所。土は少し湿っている:17℃(9時ごろは13℃だった)
    ・C 畑の周縁、陽のあたる低めの草が生えているところ:24℃
    ・D オクラ向こう東側、種を播いて発芽したばかりの秋野菜の畝で、陽があたっているまだ草の少ない裸に近い土の上:37℃

 主な場所の温度を示しました。作物の葉や草の繁っているところは、その気化熱により当然温度が低くなります。これほどの温度差があることには驚きましたが、それぞれの場所による温度の違いは、理にかなった数値かと思います。
 直射日光を浴びていれば人の体は熱を蓄えてしまいます。舗装した道を歩いていたり、草のない土の上にいる時の体感と、作物の葉や草に覆われた所での体感は大きく違ってあたりまえです。樹や下草に覆われた山の中が涼しいのは当然ですが、この程度の畑にいて、陽に当たり続ければ汗が吹き出すものの、背の高い作物の陰や建物の陰に立てば、そう暑さは感じず気持ちのいい体感です。

 昨今のいわゆる温暖化のことでも、これだけコンクリートに囲まれた住空間では、気温が高くなるのも必然です。周りを土に囲まれ、草が生え、葉を繁らせた樹があれば、家の中だって気温が下がります。まあ、雑草だってあまり邪険に扱わないで、うまく活用もしながら共生するのが有効そうだと考えています。

 2025.7  堀 哲郎

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