オクラはアフリカ原産で、その英語名がOkra。日本でもよく食べられるようになり、近ごろでは沖縄や九州など暖かい地方だけでなく、北国でも栽培されるようになってきました。実際畑で栽培してみると、花もきれいだし上へ上へと次々にオクラができて、育てるのも楽しい野菜です。日本では冬が越せず一年草となりますが、熱帯地方では多年草として生育し、一年中収穫できるそうです。
ネバネバとしたぬめりが特徴ですが、日本ではさっと茹でたり、炒めたり、生のまま小さく切ってその食感と緑を活かした調理が多いようです。海外では煮込む料理にもよく使われ、細かに切ってスープにしますし、オクラのインドカレーもおいしいものです。当然、料理全体がネバネバになります。
今回のレシピは、アフリカの代表的な料理「オクラ・スープ」を作ろうと思います。
基本は肉や魚の出汁でオクラを煮る。ほかに具は肉類、魚・甲殻類のたぐいをなんでも入れてOK。スープとはいっても、汁気は少なく、ご飯にかけて食べられる料理。
そのレシピはさまざまですが、最初に材料を油で炒めるような調理法をとらず、先に煮込んで後で油を加えるという方法で作ってみました。油は赤いパーム油を使えばぐんとアフリカに近づきますが、今回は手ぢかの植物油を使います。
レシピによって、最初にオクラを煮るとか鍋に入れる順番が違ったりしますが、今回はオクラと油以外の食材を一度に鍋に入れました。いい具合に出汁が出るまで煮込んで、そこへ細かに切ったオクラを加え10分ぐらい煮て、油を回し入れさらに5分ほど。最後に塩味を調整して火を止めます。
《アフリカ風オクラ・スープ》
- <材料>
- ・オクラをたっぷり
- ・肉/鳥もも肉
- ・魚/タラの切り身
- ・エビ
- ・玉ねぎのみじん切り
- ・にんにくのみじん切り
- ・トマトまたはトマトペースト
- ・唐辛子または唐辛子粉など好みの辛さに
- ・ブイヨンなどのスープ(材料からしっかり出汁が出ればなくてもよい)
- ・植物油
- ・塩
出汁の効いた、オクラの味もしっかり楽しめる、食べやすいおいしい料理です。
西アフリカで特によく食べられているそうで、セネガルやマリでは「スープ・カンジャ」と呼ばれるソウルフードのようです。カンジャはここでのオクラの呼称。
このマリという国に、最近興味を持っています。
マリ共和国はアフリカ西部、セネガルの東、アルジェリアの南、海に面していない国です。国土の北3分の1はサハラ砂漠です。
なぜ広いアフリカ大陸の中でマリという国に興味が、というと、そのきっかけは音楽からでした。
<砂漠のブルース>の雄と呼ばれるバンド「ティナリウェン/Tenariwen」はワールドミュージック界では有名な存在。ピーター・バラカンの紹介だったと思いますが、その音楽を聴いてすっかり気に入ってしまいました。エレキギターに手拍子に伝統楽器のパーカッション、砂漠の砂が口に入らないようになのかあまり口を開けずボソボソと歌う。日本は東北の素人の歌う民謡が思い浮かびました。津軽民謡。
また、砂漠の中で演奏するその民族衣装のターバン姿も格好よい。
(聴いてみてください。ティナリウェン公式ウェブサイト)
彼らはサハラ砂漠の遊牧民トゥアレグ族の人たちです。現在の活動はほとんどが音楽でしょうけれど、以前は銃を持つ革命戦士でした。
トゥアレグは遊牧や交易を糧として、ラクダでサハラ砂漠を自由に行き来してきた人たちですから、植民地時代には弾圧され、北アフリカの分離独立後は4つの国に分断されて生活することになってしまいます。1960年代からは、彼らトゥアレグの自治権を求めて抵抗運動が始まります。マリ共和国政府と武装闘争を行いつつ、難民としてリビアに逃れます。
そのリビアのキャンプで知り合った武装戦士メンバーを中心に結成されたのが、ティナリウェンです(1979年)。リビアのカダフィの元で傭兵として、そして新しい音楽の文化も知ったといいます。
2011年、リビア内戦でカダフィ体制が崩壊。リビアにいたトゥアレグたちは銃とお金を手にマリに戻ります。そうなると、2012年になってトゥアレグ抵抗独立運動が活発化、さらにマリ軍クーデターが発生し大統領が失脚します。そして理解しきれないさまざまな勢力が入り乱れる混乱の中、トゥアレグの戦闘行動に便乗する形で参加してきた過激派イスラム武装勢力がマリ北部を占領支配してしまいます。突然、市民はその統制下に置かれ、非人道的な生活を強いられることに。魅力的で独特な造形で知られるモスクなど、歴史的建造物の破壊行動や貴重な古文書の焚書も起こります。(ユネスコ/Timbuktu)
音楽や踊り、サッカーも禁止、見つかればひどい刑を受けます。トゥアレグ族はもともと女系社会で、女性もわりあい自由な存在だったのが、女性の髪や肌の露出は禁止で手袋もしなければならなくなります。
2012年当時のこの状況を描いた映画『禁じられた歌声・ティンブクトゥ/Timbukutu』(2014年製作フランス, モーリタニア)で目にしたことは、にわかには信じられない光景でした。(映画『禁じられた歌声・ティンブクトゥ/Timbukutu』予告編)
2013年になってフランスが軍事介入、大統領選挙が行われ、その後マリの秩序回復も進みつつあるようですが、北部ではまだ時おり過激派イスラム武装集団との戦闘が起き、平穏な生活は望めないようです。
このような中、<砂漠のブルース>のティナリウェンはリビアを出てどこでどのように活動していたのでしょう。当然マリ政府にも睨まれる存在でしょうし。
彼らのように、いま世界中でマリ出身のミュージシャンが活躍しています。上の映画でもマリ出身の女性ミュージシャンが出演、テーマ曲も歌っています。
なぜマリに多くの魅力的な音楽家が生まれるのか。それにはマリの歴史がありました。1960年、フランスから独立した時、政府主導で音楽の振興策をとったのです。それにより新しい音楽も盛んになり、多くのミュージシャンが育ったといいます。
さらにマリの歴史をさかのぼってみると、17世紀半ばまでそこにマリ帝国がありました。その中心都市は、上の映画のタイトルにあるティンブクトゥ/Timbukutu またはトンブクトゥ/フランス語 Tombouctou と呼ばれる、ヨーロッパからは「黄金郷」とまでいわれたところです。古代からアフリカの重要な交易中継拠点として栄えた都市でした。
またそこは多額の資金によってできた、イスラム文化やその他多様な文化を学び研究する中心都市、いってみれば巨大な学問の都でもあったのです。そこには文化に対する敬意と自由で開放的な文化の歴史がありました。
このようなトンブクトゥの歴史が豊かな音楽文化の礎なのでしょう。音楽だけでなく、幾多の危機を経ながらも人々の努力でいまに残った美しい造本の「トンブクトゥ写本」と呼ばれる書物類や、数多くの古文書を再び集めて保存し、失われたアフリカの民のアイデンティティーを回復するための活動も行われています。
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