ホースラディッシュ 〈116号 #54〉

ホースラディッシュ

 あまり見かけることのない食材でしょう、ホースラディッシュ。日本では「西洋わさび」「山わさび」「野わさび」「白わさび」「わさび大根」「馬わさび」などと称され、いわゆる日本の「本わさび」と呼ばれる緑色のわさびとは違ったわさびです。レストランなどではフランス語名の「レフォール」の呼称も使われるようです。

 一般的には、市販のチューブに入ったわさびや粉わさびなどは、このホースラディッシュを使っています(色は白く、商品では緑に着色されています)。あまり見る機会はありませんが、いつも世話になっている作物です。

 この画像のホースラディッシュはウチの畑で収穫したもので、育てるようになってから10年近く経つのではないかと思います。生命力の強い植物で、食材としてお店で売っていたものの一部を切り割り、ただ畑に生けただけで、いまでは毎年大きな葉を茂らせ、注意しておかないとどんどん広がっていく様相です。

 主に雪の降り出す前、11月以降に根を掘り出して使いますが、冷蔵庫に保存しておくとずいぶん長く元気なままのホースラディッシュが食べられます。冷蔵庫に半年ぐらい忘れたままになっていても、緑の若芽も育ちカビるようすもなく息づいています。また畑に戻してあげればきっと根付くことでしょう。生命力の強さでいえばトップクラスです。抗菌殺菌作用も強力と思われます。

 アブラナ科セイヨウワサビ属の多年草。原産地は東ヨーロッパ地域ともいわれます。寒さに強く、日本では主に北海道で栽培されています。明治期に導入され、ジンギスカンの付け合わせや、炊きたてのご飯の上にのせ醤油をかけて食べるなど、日常的に使われています。しかし、それほど普及はせず、野生化して自生しているのが道内でよく見かけられるようです。


 その歴史を見ると、ヨーロッパでは古代から栽培され、広い地域で薬としてまた料理の薬味として利用されてきました。当然、野草のホースラディッシュも生えています。

 ホースラディッシュ(horseradish)という英名では、すりおろしてローストビーフ(イギリス料理)に添えたり、ソースにする材料としてよく耳にします。スラブ系言語で"ホース"は辛いとか苦いという意味でマスタードのことを表し(チェコ語)、その語源は火や燃焼を意味する語だそうです。そのホースから英名にhorse(馬)があてられたと思われます。
 東欧、中欧などスラブ系言語ではこの「西洋わさび」のことは、「シュレイン」「クレイン」などの名称で呼ばれます。

 宗教的にも重要な食材で、キリスト教の復活祭の伝統料理にも使われます。「イエスの苦しみを思い起こさせる」ものとして食べられているそうです。同じようなものがアシュケナージ・ユダヤ料理として過越祭の時に供されます。(アシュケナージ・ユダヤ人とは、ドイツ語圏や東欧諸国などに移り住んだユダヤ人とその子孫のことを指す)

 ヨーロッパではホースラディッシュと酢、塩、砂糖を合わせたソースが一般的で、肉や魚料理、サンドイッチやサラダと多くの料理に使われます。また各地域でその地特有のさまざまな材料とブレンドされた多様なソースになり、その地域独特の郷土料理となっています。
 日本における刺身や寿司のわさびの使い方にしても、わさびとの付き合い方としては特別なものではないということです。生の魚や蕎麦だけではなく、もっと多くの料理にも活用したいものです。


おろしたホースラディッシュ

 さて、今回は三種類のホースラディッシュ・ソースを作ってみようと思います。

ホースラディッシュ・ソース

 まず一つは、ホースラディッシュを入れたマヨネーズ。これはアメリカでよく食べられるマヨネーズ・ソース。
 二つ目は、イギリスで中世に生まれたマスタードとホースラディッシュのブレンド「テュークスベリー・マスタード」。テュークスベリーはイングランドの街の名前で、このソースはいまもこの街の名物として販売もされています。シェークスピア『ヘンリー四世』の中のセリフに「テュークスベリー・マスタード」が出てきます。これはある登場人物の話ぶりを「濃厚で刺激的」の意で表したセリフと解説されています。
 三つ目は「赤いシュレイン」。復活祭の伝統的な料理にも使われる、ホースラディッシュと赤いビーツを合わせたソース。ビーツをよく食べる東欧では多くの地域で作られているようです。

 せっかく作ったので「テュークスベリー・マスタード」を太刀魚の塩甘酒漬けの焼き魚に添えて食べました。おいしかったです。ちなみに使ったマスタードも自家製です(カラシ粒にワインビネガーと塩を加え、しばらく経って柔らかくなったらブレンダーで適度に潰し、冷蔵庫で熟成させる)。


焼き太刀魚ホースラディッシュ・ソース添え



 現在の世界の情況を見るに、特にヨーロッパを中心に大きく変化しようとしています。ヨーロッパの国々は米英のいうことを聞き続けるのか、それとも袂を分かつのか。どちらがその国の将来にとってよいのか。日本も他人事ではありません、ヨーロッパにも増して厳しい選択を迫られているでしょう。
 アメリカ大統領にトランプが就任し、アメリカ自身も生き残りをかけてこれまでの自国がやってきた禍々しい悪事の数々も公表されようとしています。トランプはシェークスピアが言うところの「濃厚で刺激的」な「テュークスベリー・マスタード」(金箔を纏ったマスタード・ボールもある)のような人物のようです。ウクライナとロシアの戦い、イスラエルとパレスチナの戦い、それをヨーロッパや周りの国々は自国のためにどのように関わりどう利用しようとしているのか。ホースラディッシュの歴史や食文化のことを調べていると、民族や宗教の相違による歴史的事象とともに、国境線では判別できない地続きの大地とそこに生きる人たちの共通しあるいは違いある食文化と暮らしを知ることとなります。
 世界は今後しばらく、わさびのようにヒリヒリする刺激的な辛い情況が続くことでしょう。

 2025.1  堀 哲郎

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