ゴマ 〈90号 #28〉

ゴマ

 ゴマはアフリカのサバンナ地帯生まれ。日本への道のりは、アフリカから古代オリエントのメソポタミアへ、そこからシルクロードを経て中国、朝鮮へ、そして日本にたどり着きました。中国では紀元前3000年頃の遺跡から出ていて、日本では縄文時代後期の遺跡で見つかっています。日本で広く栽培されるようになり、和食には欠かせない食材となっているゴマも、いまではその消費量の99.9%を輸入しているそうです。

 『アリババと40人の盗賊』という物語があります。その中の「開け、ゴマ!」の呪文はほとんどの人が知っているでしょう。小学校の学芸会の定番「アリババ」は現在も行われているようですし、半世紀以上前に小学生だったわたしも、盗賊の隠れる油壺に利用された、当時の給食に出たアメリカからの脱脂粉乳の入っていた、英語表示の大きな紙製のドラム缶の印象とともに記憶しています。
 岩の扉を開くのになぜ「ゴマ」なのかは、諸説あるものの正確なところは不明です。
 このお話の入った中世アラブ世界の説話集である『千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)』は、9世紀のバグダードで作られたものが原型といわれています。その後多くの写本、さまざまな版がアラブ世界で作られ、さらにヨーロッパに伝わり多くの言語に翻訳されて今にいたります。その長い歴史の中で『アリババと40人の盗賊』というお話は、アラビア語の原典には見つからず、18世紀にフランス語に翻訳された際にフランス人の学者によって加えられたともいわれます。


 今回はゴマをきっかけにして、「中東」のことを書いてみたいと思います。
 中東地域には「フムス」という食べ物があります。アラビア語でひよこ豆をいいますが、アラビア語のカタカナ表記が統一されていないので、「フマス」「ハマス」「ホモス」「ハモス」「フンムス」ともいい、英語では hummus と表記されます。

 ひよこ豆の水煮と、「タヒニ」と呼ばれる練りゴマ(白)のペースト、オリーブオイルなどを加えペースト状にしたものです。材料さえあればフードプロセッサーやミキサーにかけてすぐにできてしまいます。ピタパンやベーグルなどのパンや野菜、肉と合わせて食べます。スパイスを加えたり、それぞれの材料の割合は作る人の好みで決まります。練りゴマもたっぷり使います。とてもおいしい、中東一帯では定番の食べ物です。
 日本にはアズキやインゲンを使ったあんこがありますが、ここはひよこ豆をアズキやインゲンに変えて「フムス」を作ってもおいしいのができそうです。

《フムス》

 ひよこ豆の水煮の汁や水で、ゆるさを調整してください。練りゴマのペースト「タヒニ」は、日本のゴマだけの練りゴマとほぼ同じですが、輸入品の「タヒニ」のほうが安く、たっぷり使えます。なお今回は上にスパイスのクミンを振ってみました。

フムス

 豆好きのせいで、フムスをウチでよく作るようになったのは最近のことですが、日本でも食べられるところが増えてきて、知られるようになってきたそうです。日本へはアメリカ経由のベジタリアン、健康食志向から、セレブリティやユダヤ人がよく食べている“イスラエルの伝統食”というふれこみで、ベーグルパンとともに人気を得ているようです。しかし、この“イスラエルの伝統食”というところが国際的な対立にもなっています。「フムスはアラブの伝統食でイスラエルのではない」と、いうのです。

 現在の国名でいえばトルコ、ギリシア、キプロス、イスラエル、パレスチナ、ヨルダン、レバノン、シリア、イラク、イランなど、この地域一帯で食べられてきた代表的な伝統料理です。長い長い歴史とその文化を、このごろ決めた国境線で区切ることなどできるはずはないのです。


 この3月ごろからパレスチナ人に対するイスラエルの暴力が激しくなっています。今年はイスラエルの建国、同時にパレスチナ人にとっては家に突然イスラエル兵がやってきてそこを追い出された1948年から70年になります。パレスチナ市民は区切りの年の今年に入り、大規模な抗議デモなどを行っています。それに対してイスラエルは銃や催涙ガスなどを使って過剰な対抗措置を続けています。水道管を切断したり果樹を切り倒したり、生活を破壊するような行為を続けています。
 さらに、アメリカのトランプ大統領は在イスラエル米大使館をエルサレムに移すことを発表しました。火に油を注ぐとはこのことでしょう。

 イスラエルが建国記念日とし、パレスチナ人は「ナクバ」(「大破局」「大災厄」の意)と呼ぶ5月14日。ガザ地区とイスラエルの国境近くでのパレスチナ市民デモに対して、イスラエル軍は発砲、この日だけで子どもを含む61人が死亡、2700人が負傷したと伝えられています。一方は最新の武器を装備したイスラエル軍兵士、片や普段でも武器と見間違えられるような物を持っているだけで射殺される、投石で抵抗するパレスチナ人。子どもや看護師の若い女性も殺されています。けが人を保護しようとする看護師にすら銃口が向けられました。インターネットで伝えられる映像は、なぜこんなことが許されるのかと思うものばかりです。
 イスラエルからすれば、パレスチナ解放を叫び活動する武装組織があるからだというのでしょうけれど。


 なぜこのような事態になってしまうのか。
 古代にはイスラエル王国がありました。しかしローマ帝国に征服され、さらにそこに住んでいたユダヤ人はその地から追放され、イスラエルという名前もパレスチナと変えられてしまいます。それ以来1800年以上を流浪の民として世界に散らばり、しかしそれゆえに培われたネットワークと団結力そして秀でた能力を術に生きてきました。そして、ナチスによるホロコーストという強烈な迫害を受けます。
 そんな迫害の痛みと理不尽さをよく知るはずのユダヤ人が、なぜこんどは迫害をし追放する側に回ってしまうのでしょう。

 

 現在のイスラエルという国ができる前、パレスチナ一帯はユダヤ人もアラブ民族であるパレスチナ人も特に敵対することなく一緒に住んでいました。16世紀からオスマン帝国の支配下にあった中東は、第一次世界大戦後、勝利した連合国によって分割され、パレスチナはイギリス帝国の委任統治下に入ります。またそのときイギリスは、ユダヤ人に対し、パレスチナに彼らの国家を建設することを約束してしまいます。というのも、そのころのイギリス帝国の隆盛はいろいろとユダヤ人のお世話になったおかげにあるからです。19世紀末からパレスチナにユダヤ民族の故郷を再建しようとする「シオニズム」が盛んになっていたころでもありました。
 この大戦後のイギリスとフランスの勢力争いによる中東地域の強引な分割は、この一帯にその後の争いの火種を作ることになります。

 イギリスがユダヤ人へ約束をしたものの、そう簡単に事が進むわけがありません。土地を取られるかもしれないアラブ人たちだって黙っていませんから。ユダヤ人とアラブ人は、互いに事件や衝突が多発してきます。ホロコーストも起きます。そして第二次世界大戦後イギリスはまるで匙を投げるような形で、その先のことは発足した国際連合にお任せしますので、1948年5月14日をもってパレスチナ委任統治を終了します。と宣言、逃げてしまいます。
 アメリカを中心に国連は、パレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家と国連統治のエルサレムの3つに分割して解決を図ろうとしますが、結局うまくいきませんでした。
 そしてイギリスの統治の終了した5月14日、ユダヤ人指導者はイスラエル独立を発表、国家の成立を宣言します。アメリカ、ソ連、そのほか多くの国がそれを承認しますが、周囲のアラブ諸国は承認せずイスラエルに対して宣戦布告、第一次中東戦争が起きてしまいます。


 現在のパレスチナは、イスラエルとパレスチナ自治区(ヨルダン川西岸地域およびガザ地区)に分けられ、ヨルダン川西岸には、分離壁といわれる8メートルの高さのコンクリート壁、有刺鉄線や電気のフェンスによって複雑に分断されています。それまでの暮らしを意図的に破壊するように街を分断し、自治区内ですらパレスチナ人は自由に動くこともできません。仕事はあまりないので失業率も高く、貧困が現在の切実な問題となっています。分離壁は現在も建設中で、総延長はなんと700kmの長さになるといいます。国連の国際司法裁判所はこれを国際法に反するとしています。

 現在パレスチナに住むパレスチナ人は自治区内に約450万人、イスラエル内のパレスチナ人は約150万人、ヨルダン在住の難民が300万人、その他の国への移民や難民を含めるとパレスチナ人の数は約1000万人であるといわれています。


 パレスチナの歴史まで長々と書いてしまい、「フムス」のことなどどこかに行ってしまいましたが、本やネットを通していろいろ読んでいたら、こんな話題がありました。
 イスラエルの人口はおよそ800万人。そのうち20%の150万人のパレスチナ人が、2級市民として制約を受けながら生活しています。そのイスラエルのあるレストランが、ユダヤ人とパレスチナ人が同じテーブルについたらフムス料理を半額にします、というキャンペーンを始めたのだそうです。「おいしい食事で、憎しみと戦争は克服できる」とこのアイデアは絶賛され、他の地域でもユダヤ人とパレスチナ人が食事を通じて仲良くなれるようにとの取り組みが行われているといいます。


 そこに住む民族は違っていても、大国が勝手に引いた国境線がどうであれ、人々はその土の上に育つ作物を使って同じ料理を食べてきたのです。それがまたおいしいから、長きにわたりそして広い地域で。国籍や民族が異なっても、何世代も前から、もしかしたらもっと前から同じ料理を食べて命がつながってきたという事実がこのことを証明していると思います。

 堀 哲郎

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