ソバ 〈104号 #42〉

ソバ

 この黒い種は、そばの実です。まだ殻のついている状態を玄そばといいます。そば粉になる前の実を見る機会は少ないですが、小さな黒い三角錐の形をしています。ほとんどが雑草といわれるタデ科の植物の中で、食用になる稀な種類です。
 稲作に向かない水利の悪い土地や、山間地や冷涼な土地でも育ちます。かえって暑い土地では育ちません。
 ソバは種を蒔いておよそ30日で花が咲きます。種蒔から収穫まで75日。早いです。ソバは夏そば、秋そばとあるのだそうですが、夏の暑い盛りは生育に向かない期間でしょう。
 ここ山形では、9月ごろに白い可憐な花を咲かせたそば畑が見られます。このごろは稲作からの転作で、もと田んぼだったところに植えられたそばが増えてきました。そして11月に「新そば」ののぼり旗がそば屋の店先にあがります。秋そばが中心になります。

 山形のそば文化は多様で奥が深く、どの店のそばの太さが好きだの、そばつゆはどこが好みだの、〇〇町の△△は行ったことある? 〇〇の主人はもと△△の店で修業したとか、人が寄るとそば談議はいつもです。そば好きやそば打ちが高じて脱サラして自宅にそば屋を開く人も多いし、全国から「そば通」も集まってきます。
 人通りの多いところで営業するそば屋以外の、そのほとんどのそば屋の営業時間は昼どきだけが一般的ですし、その日の打った分がなくなれば閉店ですので、食べてみたい店のそばにはありつけないこともしばしば。
 (ちかごろはラーメンが同じような楽しみ方ですが、山形の古くからあるそば屋のほとんどはいわゆる中華そばもメニューにあって、それが目当ての客も多いのです。私の子どものころはそうでしたが、山形ではむかしから、昼どきの来客には中華そばを出前でとってご馳走する習慣があって、そば屋は中華そばもやっているのでした)

 老舗はもとより、人里離れた山あいにあるそば屋までそれぞれ特徴があって、そう詳しいわけでもない私にはそばのことなど語れないのですが、ここで紹介したいそばがあります。「天保そば」といいます(商標は「幻の山形天保そば」)。


 1998年、福島県大熊町にあった古民家の解体の際、屋根裏から6つの俵に入れられたそばの実が見つかりました。大飢饉にみまわれた天保(1830〜1844)のころに、子や子孫のためにと丁寧に保存され、代々言い伝えられたそばの実が160年を経て人の目にさらされることとなりました。
 ネズミや湿気の害にあわぬよう炭や木灰で保護されてはいましたが、大学や専門の研究機関に依頼した発芽試験では、残念ながら発芽は無理との結論でした。

 しかしあきらめきれず、そばのことでは名の知れた山形の鈴木製粉所に手紙と100グラムほどの実を送ります。受け取った鈴木製粉所から声をかけられたそば職人の有志たちは、発芽に挑戦します。
 彼らは、昔からの言い伝えにある土と発芽法に沿って、50粒ほどのそばの実をプランターに蒔きます。果たして、1999年8月、160年前のそばが発芽します。

 日本海の山形県の北の端に 飛島 ( とびしま ) という島があります。そこはそばの栽培もそばの自生もしていない40kmほど沖の離島です。そばはミツバチによる受粉によるため自然交配しやすいので、天保のそばの原種を守り育てるためにこの島に畑を用意しました。
 それから作付けも増え、山形市内の畑でも栽培されるようになり、ついに限られた量ではあっても数軒のそば屋で食べられるまでになります。

 現在は、主に山形市内の天保そば保存会員のそば屋十数軒で期間限定ですが、食べることができます。毎年6月になると、その年の収穫量によりますが、それぞれのそば屋に用意された量がなくなるまでの期間だけ食べられます。1ヵ月間ぐらいでしょうか。
 ただ、このごろは収穫量が増えて乾麺も販売されるようになり、遠方の人でも「天保そば」を食べられるようになりました。でも、やっぱりそばは打ちたてを食べたいですね。


 その「天保そば」を食べての感想ですが、熱心なそばっ食いでもないわたしにも、香りがありおいしいと思える、また来年もと思えるそばです。それに、なんといっても江戸時代から眠り続けてきた種が、160年後ののち発芽して、花を咲かせ、そばの実になったものが食べられるというこのことが、その味以上に「食べる」ことの幸福感を覚えます。飢饉やその後あったであろう天変地異や災害を乗り越え、子孫のために残そうとした人、また再び育てようとした人たちの意気と知恵が、そばという古くシンプルな食べ物の新たなサイクルを復活させ、食べるだけですがその中に参加できたことがうれしい。

 近年は、経済優先の遺伝子組み換えの作物や、ハイブリッド品種など、人間の強引で高慢な技術による作物ばかりが増えてきて、われわれは家畜か? といいたくなる食の実態です。「天保そば」はそれらとは正反対の食べ物です。
 現在も、飛島では原種を守るための栽培が続けられています。


 さて、世界のそばを眺めると、もっともそば消費量の多いロシアや東欧の国々では、殻をはずしただけのそばの実の料理が多いようです。またフランスではそば粉で作る厚めのクレープのような「ガレット」が有名です。

 日本でも、縄文時代からといわれる最も古いそばの食べ方は、そばの実(むきそば)を煮て粥にしたものでしょう。山形では主に庄内地方で食べられる「炊きそば」という郷土料理があります。
 その後、そばの実を石臼で挽いたそば粉ができると、江戸時代には熱湯で練った「そばがき」(山形では「かいもち」ともいう)を食べるようになります。
 さらにそば粉を水でこね、薄く延ばして細く切ったものが「そば切り」です。これがいわゆる現在の「そば」。

「炊きそば」

 そばの実(むきそば・そば米)は、地域によっては手に入れにくいかもしれませんが、もしあったら簡単ですので作ってみてください。そばの実とその5、6倍の水で20分ぐらい炊きます。芯がなくなったらざるでお湯を切ります。器に入れ、好みの濃さのそばつゆ、好みの薬味で食べます。今回は山芋をのせました。

炊きそば

「そばがき」

 手打ちのそば屋であれば、多くの店でそばがきはメニューにあるでしょう。これも簡単なのでそば粉を購入すれば、自宅ですぐにできて食べられます。

 子どものころのおぼろげな記憶に、大人たちがお椀で「かいもち」を作って食べていたな、というのがあります。いろり端に車座になって、各自手にしたお椀にそば粉を入れ、火にかけてある鉄瓶のお湯を注ぎ、手早く箸や木べらなどでよくかき混ぜ柔らかい餅のようにします。生じょうゆを垂らして食べます。「お茶飲み」で近所の人が何人か寄っては食べていたような…。
 いまは、耐熱容器にそば粉をよく水で溶いて入れ、電子レンジで3、4分加熱するという方法もあるようです。

 ここではもう少し手間をかけておいしくします。
 ・使う道具は、木べらやすりこぎなど。まず、お湯を沸かして用意しておきます。
 ・鍋に1人前40gほどのそば粉、その2.5倍(ここでは100ml)の水でダマにならないようによく撹拌します。
 ・鍋を中火にかけ、へらなどで搔き回します。だんだんと重くなってきますが、火から鍋を外しつつ、一所懸命ぐるぐる搔き混ぜ続けます。さらに重くなって、もうダメとなったら火を止めます。ここまではあっという間です。そば粉の量が多いと大変なので、わたしはせいぜい2人前まで。
 ・少ない量で上手な人なら、ここで出来上がりですが、非力なわたしはもう一手間かけます。餅状になったそばをへらで鍋の底からはがし、ひとまとめにします。水で濡らしたへらを使えば扱いが楽です。
 先に用意した熱湯をそばの鍋に注ぎ、再度火にかけます。鍋底からはがしたそばの塊が浮いてきたら火を止めます。
 ・そばを押さえながらお湯を切ります。お湯を切ったら、再びへらやすりこぎで掻き混ぜます。先ほどより重くありません。なめらかなお餅のようになったら出来上がりです。

 そばのつゆ、エゴマまたは胡麻のたれ、クルミのたれ、納豆とおろしなどをつけて食べます。
 丸めて油で素揚げにしたり、固くなってからあぶって食べてもおいしいです。


 きっと「天保」のそばも、このような食べ方をしていたのではないでしょうか。


そばがき

参考:幻の山形天保そば保存会 http://tenpousoba.com/

 2022.1  堀 哲郎

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