カヤの実 〈62号;#02〉

ドングリではありません。季節外れには違いはありませんが、カヤの実といいます。カヤ(榧)は、イチイ科の常緑針葉樹で、日本と朝鮮半島に分布し成長すると大樹になります。
カヤの名は「蚊遣り」に通ずると云い、その葉を焚いて虫除けに使われたことが由来とされます。材木としても、木の性質から船や仏像に、さまざまなものの材料として利用されてきました。

このカヤの実は帰郷したときに店で見つけ懐かしさのあまり購入したものです。ご存じの方も多いかと思いますが食べられる木の実です。独特の香ばしさで、どう表現したらいいでしょう、クルミとアーモンドがいっしょになって針葉樹の枝についたのでちょっとくせがあるナッツとでも。

古くはカヤの実から絞った油を食用油としても使っていました。かの徳川家康はこのカヤの実の油であげた天ぷらをいたく気に入り、天ぷらの食べ過ぎがその死因であったと何やらのテレビ番組で聞きました。

焼けたカヤの実

子どものころこのカヤの実が大好きでした。母にカラカラと焙烙(ほうろく)で炒ってもらっては、そのひと掴みをズボンのポケットに入れて野っぱらや裏にある山へ遊びに出かけたものでした。食べるとその香ばしさは格別で、固い殻が少し焦げたカヤの実の紡錘形のかたちとともに記憶しています。

いまではクリやクルミなどに比べるとまるで縁遠くなってしまいましたが、カヤの実も縄文のむかしから食べられてきた木の実です。いや、それ以前からでしょう。

樹が種(しゅ)を残そうと地面に落とした木の実を、人はその樹の元に屈みながら拾い集め、樹の恵み森の恵み自然の恵みとしていただきます。それはクマやイノシシとなんら変わりのない生き物としての人間です。
人がほかの生き物と違ってくるのは、手に入れた食べ物をもっとおいしく食べようとし、そのままでは食べられないものを焼いて食べるための火を使えるようになったこと。

自然界の火は稲妻や火山の噴火、乾燥による山火事という災いから生じるものです。人はそれを神の怒りととらえていました。
どこの国の神話にも、人が神からどのようにして火を手に入れたかが語られます。人は神を騙したり火を盗んだ罪に神罰を受けながらも、手に入れた火に畏敬の念を抱きながら火で調理をし、寒さから身を守るための、ものを造るためのエネルギーとしてきました。
しかし、人が火を手に入れて長い長い時間が経った今も、油断をすると家や財産のすべて命さえも失ってしまう火災というものから逃れることはできていません。

あの太陽にしか存在していなかった「核の火」を、いったいどんな神からどうやって人は手に入れたのでしょう。


まだ残っていたカヤの実を、焦げ過ぎないようフライパンでゆっくりコロコロカラカラと炒って食べました。

── あの3月11日からもう3か月が経とうとしている
堀 哲郎

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